キミキス最終話Rem@ster
2008.04.07 Monday
冷静になったところで、もう1度キミキス最終話を振り返ってみる。
「もう摩央ねーちゃんを泣かせない!」っていう描写があったあたりから、最終的には
この二人がくっつくものだろうと予想はしてました。しかし、あの最終回では、結局結美
は全く救われないまま終わってしまい、また摩央が光一の気持ちを受け入れる過程も非常
に無理矢理で、釈然としない感覚と後味の悪さが残る描写に終わってしまいました。
確かに結美は人間的に成長したのかも知れません。しかし、恋愛には敗れました。
これは「恋愛と人間的な成熟度は無関係で、むしろ良い人ほど損をする」ということを
表現したかったのでしょうか?確かに、これはこれで現実でもありがちなシチュですが、
しかし一つのエンターテイメントとして見た場合、全く以って楽しめるものとは言い難い
内容だと思います。一つの文芸作品として見るなら、こうした現実主義(?)も悪いとは
言いませんが、キミキスのアニメ版、ということでしたら、それで製作側の創作欲を前面
に出した文芸作品を作るというのは、控えめに言っても聊か冒険しすぎではないかと俺は
思います。少なくとも商業的には成功し難いですし、また視聴者の間で多くの不協和音を
産んでしまいかねません(実際売上データでは、商業的に失敗してると言えます)。
次に、摩央の反応も、不自然でした。
「すぐ結美ちゃんのところへ戻りなさい」から「私も光一が好き」まで、僅か1分。
光一は明らかに結美を振っています。裏切り者なのです。そして摩央は同じ日、結美に
光一を託す意味合いでの握手までしています。だから「すぐ結美ちゃんのところへ」云々
は自然な対応でしょう。また、摩央は本当は光一が好きなのだから、最終的に折れるのは
百歩譲って、仕方ないと見ることも可能ではあります。しかし、心変わりに要する時間が
僅か1分で、その間のやりとりも強引すぎ、これでは視聴者を納得させることは困難だと
思います。説得力が無さすぎなのです。
第一、これでは略奪愛の肯定、相手が裏切り者でも好きという気持ちを優先することが
自然である、など、独善的な恋愛を推奨するメッセージとなってしまいます。
確かに現実で、独善的な恋愛が成立することは有り得ます。
しかし、キミキスの視聴者は「嫌な現実」の追体験を望んでいるのでしょうか?
それを敢えて見せることで、創作側は「どのような人に」「どのような共感を」求めて
いたのでしょうか?彼らは「これが恋愛ってモンなのさ」と見せることで、視聴者にどう
感じて欲しかったのでしょうか?仮に「恋愛というのを表現してみたかっただけ」である
なら、それはただの投げっぱなしであり、キミキスという原作のタイトルを借りる必要性
は皆無です。いたずらにキミキスファンの神経を逆撫でするようなことを敢えて行った、
その魂胆、全く以って理解に苦しむところです。
そして、光一。彼は最後の最後まで自分の本心を語らず、誰にも相談せずに抱え込み、
全てがもう手遅れになってから裏切りという結末を歩みました。
彼は摩央に語ります。
「自分に嘘ついて。星乃さんにも嘘ついて」
・・・ちょっと待って下さい。
少なくとも、13話時点では、彼は本心で結美が好きである、そのような描写がされて
いました。あれが嘘であると言うのは、少々苦しすぎます。
光一が摩央への気持ちに「気付いた」のは、看病時のオデコキス、摩央が甲斐と別れた
後で光一に「わたしが好きなのは光一よ!」と叫んだこと、そして映画撮影のキスシーン
で摩央が泣いたこと、など、そうしたイベントが発生するたびに段階的に得られたもの。
それと同時に、結美への気持ちが薄れていった、と読み解くのが自然です。
そうなると「星乃さんにも嘘ついて」というのが、取ってつけたような言い訳にしか、
見えないのです。何とかして摩央の気持ちを引きたいがために。
更に言うと、このとき、光一は結美を裏切った直後です。
それなのに、摩央にあのような笑顔を向けられるというのは、ペテン師の所業です。
結美に対してこれっぽっちも思うところがない、屈託の無い残酷な笑顔。これを見せて
創作者は一体視聴者に何を語りたいのでしょうか?
「恋愛は、ズルい人が勝つんだよ」ということでしょうか?
確かに、そうかも知れません。
ですが、それだと売れません。
確かに、数ある文芸の中では、このような「バッドエンド」を迎えて、なおかつそれで
高い評価を得たものもあるでしょう。欝作品というジャンルや需要も、確かにあります。
勧善懲悪ならぬ勧悪懲善、あるいは偽善の否定など、必然的にバッドエンドを迎えるべき
作風というのも確かに存在します。
しかし、それは「キミキス」で表現されるべきものだったのでしょうか?
更に言うと、勧悪懲善や偽善の否定なども、結局は悪が勝つための、あるいは醜い現実
が醜いまま暴かれるための、それなりの理由が存在するからそうした作品になるのです。
翻って、この作品は醜いものを醜くみせただけで終わり、そこにどんな理由やロジック、
メッセージが存在するのかと言うと、甚だ疑問です。
もし監督や脚本が7万+4万@11万人(この数字は、ファンなら理解出来ますね)の
キミキスファンの神経を逆撫でし、面白おかしく馬鹿にして、敵に回すのが目的だったの
なら、彼らはこの上ない大成功を収めたと言えるでしょう。
赤毛組について。
咲野は「良い人」に終始しました。しかし、結局ただの引き立て役で終わりました。
ここでも「良い人」は損をする、という、嫌な現実がこれでもかと展開されてますw
二見は、人間は孤独でOK、という持論から「あなたを好きになってもいいの」という
状態に至ったことで、エンターテイメント的にはある種のカタルシスを視聴者に与え得る
存在になったと見て良いかも知れません。彼女に関しては、ある程度魅力的に描けている
ものと思います。確かに冒頭の「実験キス」は原作ファンを憤らせるものでしたけれど、
しかし全体的に、彼女は「成長/変化し、そしてハッピーエンドを迎えた」キャラと見て
良いでしょう。
しかし、赤毛本人に関しては、ちょっと複雑です。
何故なら、見方次第では、ストーカーを肯定しているようにも受け取れるからです。
とにかく追いかけて、電話しまくって、家に押しかけて、否定されても諦めないで相手
が折れるまで攻めまくる。そうすれば、恋愛は成就する。
・・・それで訴えられた男は枚挙に暇がありませんがw
ただし、相手が二見さんということで、彼女が成長するには、彼がここまで押しまくる
必然性はあったのかも知れません。それに、ひたむきで一途な気持ちをぶつける青春群像
というのは、ある意味王道的ではあります。ただ、対象が恋愛なのでストーカースレスレ
に見えてしまいかねない、そういう意味で聊か複雑なのです。
柊と栗生。確かに、コノ二人がおまけみたいにくっつく予感は文化祭の前からうすうす
していました。ですが、果たして物語的にこの二人をくっつける意味はあったのか?
ただただ薄っぺらく「カップリングしましたぁ〜☆」で終わりな投げっ放し。
まぁ、これはこれで、栗生がよーやくツンデレの「デレ」を発動という意味で俺的には
アリと言えばアリです。でも、薄っぺらいと批判されるのは仕方ないでしょうw
甲斐。キミは結局引き立て役だったねw
前半のサックスDQNから終盤の「いいひと。」、そして最終話で光一にトドメを刺す
ご都合男と、一貫性の無いキャラでした。これ、キャラを掘り下げないまま見切り発車で
摩央の序盤の相手役を押し付けられ、ファンに叩かれたため急遽方針転換を模索、答えが
見つからないままゲームセット、というキャラにしか見えないのですが。
あるいは、彼の存在意義はエプロン姿に集約されていたのかも知れない。
うどん組。
面白かった。楽しかった。もっと見ていたい。恋人じゃないけど、相手役、という意味
で捉えるなら、お爺ちゃんがソレに該当するかなwww
何気に脇役の更に脇役だった新入部員の2人も、僅かな台詞しか与えられてなかったが
結構いい味だしてました。ナイス脇役。
でも、妹とうどん娘って原作じゃ攻略対象じゃなかったっけ?w
脇役といえば。
お嬢様。とにかくリッチなお嬢様。
原作知らない俺は、その名前すら思い出せねーよw
・・・ってくらい、正直、ご都合キャラでしかなかった。
この物語では、何も残せなかったに近いかも。
でも、原作ではメインヒロインの一人じゃなかったけ?w
まぁでも、唯一「穢されてない」って意味では、原作における彼女のファンは胸を撫で
下ろしているところかも?
キツネ耳は可愛かったw
川田先生。
テラモエスwwwwwwwwwwwww
奇しくも、俺のリアル恩師の一人と同じ姓だw
やっぱり、いい先生の名前って決まってるんだろうか(あからさまなゴマすり乙w
いやでも、メイド川田先生はテラモエス☆
総括して、キミキスでは「思いを素直に伝えることの大切さ」に改めて気付かされた。
しかし最終話で、それだけでは恋愛勝利者になれないという残酷な現実を突き付けられる
ことに至り、ちょっと水を差された気分である。
とはいえ、青臭い恋愛の絡む懐かしい時代を懐古させられたという意味では、俺は結構
楽しみながら見ることが出来た。
最終話でブチ壊されなかったら、割と「そんな酷いって言うほどじゃないのでわ」って
言える程に、俺は気に入っていた。原作知らない人としては、原作レイープだったとて、
どこがソレなのか気にならないし、原作への思い入れが無いので例えレイープだと解った
としても、だから何?と、思えてしまうのだ。
しかし、あの最終話は全ての評価を覆して余りある素晴らしい不出来っぷり。
よくここまで壊せるものだと、素直に敬意を表したい。
余談。
ファンの間では、やはり光一と結美がくっつくハッピーエンドを望む声が多い。だが、
俺は必ずしもそれが最良だとは考えない。何故なら、フランダースの犬が絡む伏線は明確
に光一と摩央が結ばれることを示唆しているからだ。
だから、問題は、結美との関係をどう清算し、摩央に綺麗にバトンタッチするか。
例えば、摩央が結美にバトンタッチする場面にて、結美が光一の心が摩央にあることを
告げる、という展開はどうだろうか。そして、あのキャンプファイアーの前で結美は光一
を摩央に「返還」する。光一は「好きだったのは嘘」という、それ自体が嘘である最終話
の解釈ではなく、それまでの描写を踏まえ「結美は好きだが、摩央の存在が段々心の中で
大きくなっていく」心情を吐露し、大きな葛藤を見せる。摩央も「それでは結美に申し訳
ない」と自分に嘘を付きつつも良識を見せる。だが、最終的に結美が光一と摩央を後押し
して、二人は結美に感謝しながらも手を取り合う、、、というエンディング。
これはこれで「全ては摩央の策略」という叩きが出るだろうが、しかし、少なくとも、
現在の最終話よりは、光一もサイテー男ではなくただの優柔不断で優しい男で終わって、
摩央も1分で心変わりする欲望優先女でなくなり、そして結美も能動的に幕引きを選んだ
ことで完全に救われないわけではない。一応「結美がそこまで積極的になれるか?」って
疑問は残るが、振られても笑顔でいる、あの最終話結美の異様なまでの成長(?)っぷり
からすれば全然常識の範疇だろう。「光一が積極的に思いを伝える勇気を教えてくれた」
とでも言わせれば、問題は皆無である。と、いうか、俺ならこれくらいでも今の最終話と
比べれば全然納得出来る。
少なくとも「思いを素直に伝える大切さ」というメッセージは残せたと思う。
つーか今の最終話と比べれば、光一が両方とも失うバッドエンドの方が全然納得だw
以上、批判だけしてポイ、ってのは嫌いなので、もう少しマシな最終話の案を俺なりに
考えてみたテスト。
・・・異論は認めるw
色々言われてるけど、俺は、赤毛組はアレでいいと思っている。
ストーカー肯定なあたりがちょいとグレーだが、二見さん相手では仕方ないと思う。
つか、ギャルゲーマーだってストーカースレスレなくらいキャラにぞっこんな人も結構
いるだろうにw 俺だよ俺wwwww
なので、咲野がちょっと可哀想だけど、あのシナリオは嫌いではない。
咲野みたいに積極的で前向きな娘なら、きっと大丈夫。そう思わせる説得力が、彼女の
明るいキャラには与えられている。
以上gdgdと書きました。
キミキスアニメ、嫌いじゃなかったよ。
最終話を除いてNA!wwwwwwwwwww
「もう摩央ねーちゃんを泣かせない!」っていう描写があったあたりから、最終的には
この二人がくっつくものだろうと予想はしてました。しかし、あの最終回では、結局結美
は全く救われないまま終わってしまい、また摩央が光一の気持ちを受け入れる過程も非常
に無理矢理で、釈然としない感覚と後味の悪さが残る描写に終わってしまいました。
確かに結美は人間的に成長したのかも知れません。しかし、恋愛には敗れました。
これは「恋愛と人間的な成熟度は無関係で、むしろ良い人ほど損をする」ということを
表現したかったのでしょうか?確かに、これはこれで現実でもありがちなシチュですが、
しかし一つのエンターテイメントとして見た場合、全く以って楽しめるものとは言い難い
内容だと思います。一つの文芸作品として見るなら、こうした現実主義(?)も悪いとは
言いませんが、キミキスのアニメ版、ということでしたら、それで製作側の創作欲を前面
に出した文芸作品を作るというのは、控えめに言っても聊か冒険しすぎではないかと俺は
思います。少なくとも商業的には成功し難いですし、また視聴者の間で多くの不協和音を
産んでしまいかねません(実際売上データでは、商業的に失敗してると言えます)。
次に、摩央の反応も、不自然でした。
「すぐ結美ちゃんのところへ戻りなさい」から「私も光一が好き」まで、僅か1分。
光一は明らかに結美を振っています。裏切り者なのです。そして摩央は同じ日、結美に
光一を託す意味合いでの握手までしています。だから「すぐ結美ちゃんのところへ」云々
は自然な対応でしょう。また、摩央は本当は光一が好きなのだから、最終的に折れるのは
百歩譲って、仕方ないと見ることも可能ではあります。しかし、心変わりに要する時間が
僅か1分で、その間のやりとりも強引すぎ、これでは視聴者を納得させることは困難だと
思います。説得力が無さすぎなのです。
第一、これでは略奪愛の肯定、相手が裏切り者でも好きという気持ちを優先することが
自然である、など、独善的な恋愛を推奨するメッセージとなってしまいます。
確かに現実で、独善的な恋愛が成立することは有り得ます。
しかし、キミキスの視聴者は「嫌な現実」の追体験を望んでいるのでしょうか?
それを敢えて見せることで、創作側は「どのような人に」「どのような共感を」求めて
いたのでしょうか?彼らは「これが恋愛ってモンなのさ」と見せることで、視聴者にどう
感じて欲しかったのでしょうか?仮に「恋愛というのを表現してみたかっただけ」である
なら、それはただの投げっぱなしであり、キミキスという原作のタイトルを借りる必要性
は皆無です。いたずらにキミキスファンの神経を逆撫でするようなことを敢えて行った、
その魂胆、全く以って理解に苦しむところです。
そして、光一。彼は最後の最後まで自分の本心を語らず、誰にも相談せずに抱え込み、
全てがもう手遅れになってから裏切りという結末を歩みました。
彼は摩央に語ります。
「自分に嘘ついて。星乃さんにも嘘ついて」
・・・ちょっと待って下さい。
少なくとも、13話時点では、彼は本心で結美が好きである、そのような描写がされて
いました。あれが嘘であると言うのは、少々苦しすぎます。
光一が摩央への気持ちに「気付いた」のは、看病時のオデコキス、摩央が甲斐と別れた
後で光一に「わたしが好きなのは光一よ!」と叫んだこと、そして映画撮影のキスシーン
で摩央が泣いたこと、など、そうしたイベントが発生するたびに段階的に得られたもの。
それと同時に、結美への気持ちが薄れていった、と読み解くのが自然です。
そうなると「星乃さんにも嘘ついて」というのが、取ってつけたような言い訳にしか、
見えないのです。何とかして摩央の気持ちを引きたいがために。
更に言うと、このとき、光一は結美を裏切った直後です。
それなのに、摩央にあのような笑顔を向けられるというのは、ペテン師の所業です。
結美に対してこれっぽっちも思うところがない、屈託の無い残酷な笑顔。これを見せて
創作者は一体視聴者に何を語りたいのでしょうか?
「恋愛は、ズルい人が勝つんだよ」ということでしょうか?
確かに、そうかも知れません。
ですが、それだと売れません。
確かに、数ある文芸の中では、このような「バッドエンド」を迎えて、なおかつそれで
高い評価を得たものもあるでしょう。欝作品というジャンルや需要も、確かにあります。
勧善懲悪ならぬ勧悪懲善、あるいは偽善の否定など、必然的にバッドエンドを迎えるべき
作風というのも確かに存在します。
しかし、それは「キミキス」で表現されるべきものだったのでしょうか?
更に言うと、勧悪懲善や偽善の否定なども、結局は悪が勝つための、あるいは醜い現実
が醜いまま暴かれるための、それなりの理由が存在するからそうした作品になるのです。
翻って、この作品は醜いものを醜くみせただけで終わり、そこにどんな理由やロジック、
メッセージが存在するのかと言うと、甚だ疑問です。
もし監督や脚本が7万+4万@11万人(この数字は、ファンなら理解出来ますね)の
キミキスファンの神経を逆撫でし、面白おかしく馬鹿にして、敵に回すのが目的だったの
なら、彼らはこの上ない大成功を収めたと言えるでしょう。
赤毛組について。
咲野は「良い人」に終始しました。しかし、結局ただの引き立て役で終わりました。
ここでも「良い人」は損をする、という、嫌な現実がこれでもかと展開されてますw
二見は、人間は孤独でOK、という持論から「あなたを好きになってもいいの」という
状態に至ったことで、エンターテイメント的にはある種のカタルシスを視聴者に与え得る
存在になったと見て良いかも知れません。彼女に関しては、ある程度魅力的に描けている
ものと思います。確かに冒頭の「実験キス」は原作ファンを憤らせるものでしたけれど、
しかし全体的に、彼女は「成長/変化し、そしてハッピーエンドを迎えた」キャラと見て
良いでしょう。
しかし、赤毛本人に関しては、ちょっと複雑です。
何故なら、見方次第では、ストーカーを肯定しているようにも受け取れるからです。
とにかく追いかけて、電話しまくって、家に押しかけて、否定されても諦めないで相手
が折れるまで攻めまくる。そうすれば、恋愛は成就する。
・・・それで訴えられた男は枚挙に暇がありませんがw
ただし、相手が二見さんということで、彼女が成長するには、彼がここまで押しまくる
必然性はあったのかも知れません。それに、ひたむきで一途な気持ちをぶつける青春群像
というのは、ある意味王道的ではあります。ただ、対象が恋愛なのでストーカースレスレ
に見えてしまいかねない、そういう意味で聊か複雑なのです。
柊と栗生。確かに、コノ二人がおまけみたいにくっつく予感は文化祭の前からうすうす
していました。ですが、果たして物語的にこの二人をくっつける意味はあったのか?
ただただ薄っぺらく「カップリングしましたぁ〜☆」で終わりな投げっ放し。
まぁ、これはこれで、栗生がよーやくツンデレの「デレ」を発動という意味で俺的には
アリと言えばアリです。でも、薄っぺらいと批判されるのは仕方ないでしょうw
甲斐。キミは結局引き立て役だったねw
前半のサックスDQNから終盤の「いいひと。」、そして最終話で光一にトドメを刺す
ご都合男と、一貫性の無いキャラでした。これ、キャラを掘り下げないまま見切り発車で
摩央の序盤の相手役を押し付けられ、ファンに叩かれたため急遽方針転換を模索、答えが
見つからないままゲームセット、というキャラにしか見えないのですが。
あるいは、彼の存在意義はエプロン姿に集約されていたのかも知れない。
うどん組。
面白かった。楽しかった。もっと見ていたい。恋人じゃないけど、相手役、という意味
で捉えるなら、お爺ちゃんがソレに該当するかなwww
何気に脇役の更に脇役だった新入部員の2人も、僅かな台詞しか与えられてなかったが
結構いい味だしてました。ナイス脇役。
でも、妹とうどん娘って原作じゃ攻略対象じゃなかったっけ?w
脇役といえば。
お嬢様。とにかくリッチなお嬢様。
原作知らない俺は、その名前すら思い出せねーよw
・・・ってくらい、正直、ご都合キャラでしかなかった。
この物語では、何も残せなかったに近いかも。
でも、原作ではメインヒロインの一人じゃなかったけ?w
まぁでも、唯一「穢されてない」って意味では、原作における彼女のファンは胸を撫で
下ろしているところかも?
キツネ耳は可愛かったw
川田先生。
テラモエスwwwwwwwwwwwww
奇しくも、俺のリアル恩師の一人と同じ姓だw
やっぱり、いい先生の名前って決まってるんだろうか(あからさまなゴマすり乙w
いやでも、メイド川田先生はテラモエス☆
総括して、キミキスでは「思いを素直に伝えることの大切さ」に改めて気付かされた。
しかし最終話で、それだけでは恋愛勝利者になれないという残酷な現実を突き付けられる
ことに至り、ちょっと水を差された気分である。
とはいえ、青臭い恋愛の絡む懐かしい時代を懐古させられたという意味では、俺は結構
楽しみながら見ることが出来た。
最終話でブチ壊されなかったら、割と「そんな酷いって言うほどじゃないのでわ」って
言える程に、俺は気に入っていた。原作知らない人としては、原作レイープだったとて、
どこがソレなのか気にならないし、原作への思い入れが無いので例えレイープだと解った
としても、だから何?と、思えてしまうのだ。
しかし、あの最終話は全ての評価を覆して余りある素晴らしい不出来っぷり。
よくここまで壊せるものだと、素直に敬意を表したい。
余談。
ファンの間では、やはり光一と結美がくっつくハッピーエンドを望む声が多い。だが、
俺は必ずしもそれが最良だとは考えない。何故なら、フランダースの犬が絡む伏線は明確
に光一と摩央が結ばれることを示唆しているからだ。
だから、問題は、結美との関係をどう清算し、摩央に綺麗にバトンタッチするか。
例えば、摩央が結美にバトンタッチする場面にて、結美が光一の心が摩央にあることを
告げる、という展開はどうだろうか。そして、あのキャンプファイアーの前で結美は光一
を摩央に「返還」する。光一は「好きだったのは嘘」という、それ自体が嘘である最終話
の解釈ではなく、それまでの描写を踏まえ「結美は好きだが、摩央の存在が段々心の中で
大きくなっていく」心情を吐露し、大きな葛藤を見せる。摩央も「それでは結美に申し訳
ない」と自分に嘘を付きつつも良識を見せる。だが、最終的に結美が光一と摩央を後押し
して、二人は結美に感謝しながらも手を取り合う、、、というエンディング。
これはこれで「全ては摩央の策略」という叩きが出るだろうが、しかし、少なくとも、
現在の最終話よりは、光一もサイテー男ではなくただの優柔不断で優しい男で終わって、
摩央も1分で心変わりする欲望優先女でなくなり、そして結美も能動的に幕引きを選んだ
ことで完全に救われないわけではない。一応「結美がそこまで積極的になれるか?」って
疑問は残るが、振られても笑顔でいる、あの最終話結美の異様なまでの成長(?)っぷり
からすれば全然常識の範疇だろう。「光一が積極的に思いを伝える勇気を教えてくれた」
とでも言わせれば、問題は皆無である。と、いうか、俺ならこれくらいでも今の最終話と
比べれば全然納得出来る。
少なくとも「思いを素直に伝える大切さ」というメッセージは残せたと思う。
つーか今の最終話と比べれば、光一が両方とも失うバッドエンドの方が全然納得だw
以上、批判だけしてポイ、ってのは嫌いなので、もう少しマシな最終話の案を俺なりに
考えてみたテスト。
・・・異論は認めるw
色々言われてるけど、俺は、赤毛組はアレでいいと思っている。
ストーカー肯定なあたりがちょいとグレーだが、二見さん相手では仕方ないと思う。
つか、ギャルゲーマーだってストーカースレスレなくらいキャラにぞっこんな人も結構
いるだろうにw 俺だよ俺wwwww
なので、咲野がちょっと可哀想だけど、あのシナリオは嫌いではない。
咲野みたいに積極的で前向きな娘なら、きっと大丈夫。そう思わせる説得力が、彼女の
明るいキャラには与えられている。
以上gdgdと書きました。
キミキスアニメ、嫌いじゃなかったよ。
最終話を除いてNA!wwwwwwwwwww