<< January 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

チャンプ的脳内おっきage♪ #44

医療の働き方改革、このままで本当に出来るの?

 厚労省が医者の時間外業務を年2000時間までと発表し、
それだと週160時間の計算(過労死ライン週86時間)で、
マジふざけんなって思ってましたが。
 でも確かに、一番楽とされる皮膚科医の俺ですら、過労死も
不思議じゃないくらい過密な週も多いよなと思ったり。結局は
現場への押し付けが脱落が脱落者増加に拍車を掛けている現状
を打開することが出来ない無為無策が原因なんだよなと。
 というわけで某所に書いた脳内おっきage(一部改変):

 大学医局に近しい病院であれば、研究業績も求められる。
 このため管理職から末端まで、研究発表や論文の提出が求め
られる。これらのリサーチや作業に、勤務時間外の莫大な時間
が消費される。しかも、それが自主的にやりたい研究ではなく
上から命令されて否応無しにやっているものであっても、その
時間は「自己研鑽」とされ「自己研鑽は勤務時間に含まれず」
という認識が当然であるため、議論に上がりにくいのが現状。
 医者の世界全体に固着する旧態依然とした奉公精神の在り方
も問題である。ご存知の通り、日本の医療の質は極めて有能な
先人達の超人的な自己犠牲のもので支えられてきた。そうした
人達が医者の世界で出世しオピニオンリーダーとなり、彼らの
勤労に対する意識が「標準」として末端にも求められてきた。
過重労働で死ななかった強靭な人達が「私達がやれたんだから
みんなもやれる、やるべきだ、やってもらわなければ困る」と
発破を掛けてきている。それに加え「私より楽をするのは許さ
ない、そもそも医療者が楽しようと考えること自体言語道断」
という精神と「ミスは個人単位の意識不足、不注意、たるみ」
という古い感覚が顕在している。これでは、働き方改革など、
絵空事のままで終わるだろう。
 続いて厚労省の改善案にある「当直が本当に「泊まるだけ」
(宿日直許可)の時かどうかを病院にチェックさせるという点
も重要」という記載にも首を傾げる。例えいわゆる「寝当直」
でも、自宅で睡眠を取るのとは違い、いつ呼ばれるか解らない
状態では8時間寝られたとしても疲労はむしろ重なっていく。
また、そもそも当直中はプライベートな時間を丸々全て病院に
取られているわけで、たとえ奇跡的に1人も患者が来なかった
としても「休めたからいいでしょ」というのは、まるで人生を
労働と睡眠だけで規定しているかのような、実に人道に反する
恐ろしい考え方である。
 そんな考え方が蔓延している環境から離れてしまう人が多い
のは、自明であろう。逃げたとかドロップアウトだとか蔑んで
いる場合ではない。労働環境を改善して、より人員を大病院に
留めて地域医療を健全に支えるには、医者という母集団全体の
根本的な精神性・文化レベルの転換から行う必要がある。
 しかし、産休・育休ですら「男はそれらを取らないから戦力
として計算しやすい」みたいに捉える感覚が未だ当然のように
語られている現状、その道は果てしなく険しそうである。
チャンプ(−O−) * チャンプ的脳内おっきage♪ * 14:25 * comments(0) * trackbacks(0)

1/8-13 パワプロどハマり中な日々

1/8

 急に翌日の抄読会(論文を読んで発表する)を当てられて、
大急ぎで準備していた日。
 4時半までミッチリと働き、5時半まで会議、そこから翌日
のカンファレンス(臨床病理検討会)準備(ここで先輩の先生
が助けに来ててくれて超絶感謝です!)、手術申込、レセプト
(保険適用のための病名登録)打ち込みと来て、それ全部終了
した後でようやっと抄読会準備して、夜11時過ぎに一区切り
って感じでした。全然準備不足だったけど、仕方ない。出来る
限りはやりました。
 翌日も診療頑張るため、ここで切り上げないと響くっての。
長時間労働、夜更かしは医療事故の元です。
 働き方改革?5時には帰れ?寝言ですか?
 え?家に持ち帰ってやれ?ふざけんな〜w
 家は休む場所です。つーか、そもそも家からだと大学病院の
ネットワーク繋げなくて、図書館データベースとかのアクセス
が非常に面倒なんですよね。

1/9

 この日は上司の機嫌が良くて、カンファも抄読会も恙無く。
雑用も8時くらいで切り上げて先輩と呑みに出ました。
 呑み終えてから帰宅して更にパワプロ2018を起動w
 パワプロどハマり中な日々なのです。
 ある意味RPG要素満載ですよね、パワプロって。
 この日は沖縄系先発ピッチャーが作れましたよ。
 152kmコンスタBBの3球種総変11で、変化量6オリ変持ち。
 オリ変は「宜野座カーブ」です。現実に、沖縄の高校で開発
された変化球ですね。腕をバトミントンのスマッシュみたいに
逆方向に捻ることで、シュート方向に鋭く縦に落ちるカーブ。

1/10

 木曜日。
 外来がやけに忙しかったなぁ。もともと年明けで外来パンク
状態がずっと続いていたのだが、この日はそれに輪を掛けて、
ほんとハンパなかった。
 なんだか疲れすぎて、夜早めに帰れたはずだけど、何したか
覚えてないというか、多分速攻バタンキューだったんだろう。
もっとパワプロしたいけど、夜中まで遊ぶ元気は俺には無い。

1/11

 外勤日。午前と午後で勤務先が違い、移動に1時間掛かる。
 この日の午前も患者多くてヤバかったけど、外勤先は気楽に
出来るから好きです。いわゆる「最後の砦」な病院ではなく、
どちらかといえば「軽症と重症をふるいにかける」病院なので
難しい病気や重い病気は別の大病院にパスすれば良いのです。
大病院の先生方乙です。ってまぁ、俺も普段はそういうパスを
受ける方の病院で働いてますけどね。
 これは実際合理的なシステムではあって、パスする病院では
比較的一般的な病気を見て、重症や珍しい病気はちゃんと研究
機関のある病院に投げることで、大病院の先生方は難しい病気
を高密度集中的に診ることで医学研究が捗るわけです。所謂、
症例が集まるってヤツです。
 問題は、そのおかげで大病院の勤務体制・勤務時間が過労死
ラインを軽く超えるってことなんですよねー。
 大病院医師の増員と待遇改善が課題ですね。

1/12


 土曜は半日勤務。それが終わると、速攻で都内へ。この日は
皮膚科専門医取得に向けて、単位取得の出来る講習会があるの
です。2日間連続で。
 その後、この日は中野@実家帰還。


 この日は他に、ツイッターでラーメン「伊藤」を紹介したり
しましたっけな。
 ここ本当好きなんです。
 写真自体は、昨年行った時です。



1/13

 いやホント、休めない3連休。

ーーーーーーーーーーーーーーー

 というわけで、今後の予定は:

1/14 朝から翌日まで日当直、そのまま翌日勤務
1/15 夜会議終わったら部活行くで、撮影機材も持ってく
   →撮れたら撮るけど、まだ少し厳しいかな?
1/16 呑み会、終わったらワンチャンまた部活か?
1/17 遅くなりそう
1/18 外勤後、呑み会の可能性あり
1/19 病棟回診したら部屋片付けて夜は実家へ
1/20 ビッグサイトでBS祭
   →コミトレ行きたかったけどアキバにカタログなかった
チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 13:37 * comments(0) * trackbacks(0)

1/7 新年初部活

 どうも、俺です。
 不確定・不定期ながら、なんとなく再開かな?
 近頃俺は大抵月曜日、勤務終了後に部活することが多くて、
終わったら酒呑んで寝るというパターンが常態化して居ます。
ゲーセンは八千代緑ヶ丘のキャッツアイ。酒はその近くにある
「うっとり」って焼き鳥屋か、あるいは帰宅して家呑みかな。
 というわけで、年明けて初の月曜日勤務、からの、初部活へ
行ってきました。




 この日は「うっとり」の客入りが結構良かったので、家呑み
しましたとさ。週末のおもてなしの余り酒をね。でも、あんま
量吞めなかったかも。疲れすぎて寝てしまいました。
 酒に呑まれる前に疲れに呑まれるというね。
 ほんま、仕事疲れが酷いです。
チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 19:07 * comments(0) * trackbacks(0)

1/1-6 年始、楽しめた

 年明けて。
 年始期間、終わり良ければ総て良し、でした。

1/1

 年明け一発目は、日夜勤24時間。
 コミケ後ということもあり、テンション高めで乗り切りました。





1/2



 というわけで、この日は実家に戻る。

1/3

 家族と1日過ごして、翌日外勤に備えて夜は下宿へ。



1/4

 新年初外勤。
 元旦は外科当番のため、皮膚科医としてはこの日がスタート
でした。今年も、今まで以上に患者の気持ちに寄り添い、一層
楽しい外来を続けていきたいと思った次第。
 昼は、成田のラーメン店「clover」へ。
 ここ、塩ラーメンは俺的にちょっとしょっぱすぎたのだが、
この日は醤油ラーメンにトライしました。すると、塩気は少し
緩和されていて、まだまだ少ししょっぱめですが、完成度高い
一杯。少し酸味がかった和風醤油スープ、これで啜る細麺は、
とても美味しゅうございました。チャーシュー丼も肉が炙られ
ていて、味のバランス良く、クオリティ高かった。
 ご馳走さまでした。
成田「clover」
成田「clover」
成田「clover」
成田「clover」
成田「clover」

 その後、成田山新勝寺詣で。

成田山新勝寺
成田山新勝寺

 本年の無病息災と、事故なく安全&平和に医業を全う出来る
ようにお祈りをば。なんとなく神様から「焦らず、落ち着いて
待て。時はいずれ来たる」と言われた気がしましたよ。
 夜、咲氏来る。




1/5

 仕事。午後は板橋に移動して更に仕事。
 夜は咲氏、そーすいさん、そして愛知よりみけーたさんが!




 ハンバーグで出汁を取るとか意味の分からないことしてます
けど、しっかり美味いです。うふふ。
 にぎやかにどんちゃんしましたよ。

1/6

 午前ちょいと病院でプチ仕事。
 昼から午後にかけて宴第二幕。


 終わり良ければ総て良し(この記事2回目)。
 すんげぇ楽しかった。ほんま、来てくれてありがとう。
 俺は、友人たちをおもてなししながらわいわいやるのが本当
に大好きなのですよ。食い物喜んでくれるのも、好きなお酒を
喜んでくれるのも、ほんま幸せな気分になりますでなぁ。
 というわけで、年明け期間の様子でした。
チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 22:19 * comments(0) * trackbacks(0)

12/29-31 C95冬コミ

 C95、平成最後の、冬コミ。
 そして来年から少なくとも東京オリンピックが終わる前は、
東館が使用不能となる。そうなる前の、最後のコミケ。
 結局初日17万人、2日目19万人、最終日21万人、合計
57万人来場した今回の冬コミ。
 ↓のツイートで、俺のC95は始まった。



1日目












 初日からスケブ依頼成功する幸先の良さ。しかもミンメイ。
結局三日間とも例年以上に物凄く順調な戦いぶりだった。
 初日はそんな大きな目当てがなかったとはいえ、マクロス、
ガンダム、ロードオブザリング、キングダム、三国志などなど
目当てジャンルは結構あった。それでも11時にはほぼ作戦は
完了していて、11時台にしろわいん氏と合流、C&Cランチ。
からの、スケブ回収、早めの離脱で初日を終えた。夜は自宅で
しろわいん氏と大信州「手いっぱい」や、神聖「祝」を1年間
寝かせたものや、シーバスリーガル18年ものを飲んだりして
夜10時過ぎにはブッ倒れていたw

2日目


















 2日目、ガチ。東は東方、西は艦これ。
 実際は少し遅れ気味に出撃だった。結局つどい橋の初段中程
で最後尾と合流。しかし、この日はコミケ15年戦士スイッチ
が完全に入りきったのか、激突戦域を華麗にするすると肩移動
しながらノンストップで周り切り、お昼を待たずして東西全て
制覇し、スケブも3冊依頼という絶好調ぶりを呈した。スケブ
依頼快諾して下さった皆様に感謝。うち1冊は郵送予定。
 そう、肩移動である。他人を押さず、腕を広げず、あらゆる
方向から押し寄せる人の波を肩の動きで推進力に変換する動作
であり、これが上手く行くと激突戦域でも速度落とさずに前進
出来るのだ。腕をなまじっか伸ばしてると、動きを止められて
しまうのである。腕をすぼめ、肩を意識して腰の回転で上手く
身をローテーションさせて人の海を泳ぐのである。
 この日、しろわいんさんと解散。
 コミケで中まで入って来るのが超珍しいそーすいさん、咲村
さん、みどりさんと一瞬ご挨拶したり。まさかお会い出来ると
思っていなかったれーべさんから差し入れ頂いたり。こういう
交流が出来るのって、本当に嬉しいですね。
 その後、夜は実家泊。

3日目














 というわけで、最終日。
 いやマジで、0945時点で東京テレポート真ん前まで列来て
いて、しかもそれがUターンして更に延びてるから驚き。
 俺以外にもそういうツイートしている方が居たんだけれど、
10時半くらいにそういうツイートを見てテレポート行った方
が居らしたみたいだけど、その時点では既に列は国際展示場側
まで戻って居たという。いやぁ、コミケスタッフ様の列処理力
は年々レベルアップして、今や凄まじいものになってますね。
 この日はレッスルエンジェルスやアイマスなどが俺的に中心
だったわけだが、東456を中央から5→4→6と攻めざるを
得なかったため、最終日マックス人の波に巻き込まれるルート
確定だったのです。それでも、例年以上にスイスイ行けた印象
でした。肩移動が、本当に上手く行った。
 普段並ばない大手壁サークルが偶々人はけていて、出来心で
ゲットしちゃったし、やっぱりコミケって行くたびに新鮮な、
新しい出会いや発見があるなぁと。
 午後、カノレたん&よろまんさんと合流。東京ベイキッチン
でビール2杯頼んだアホは俺です。で、そのままそこから閉会
の拍手を眺めたのでした。
 掛け値無しに良いコミケでした。
 ラヴ&ピース!

戦利品晒し

 というわけで、以下、戦利品を晒して終わりにします。






チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 23:24 * comments(0) * trackbacks(0)

2018.4-12 スパイラル時空

 2018年、4月から12月を振り返る。
 悲劇から1年過ぎて、心の傷が癒えるかと思いきや。皮膚科
2年目となって俺に対する要求レベルは上昇を続け、仕事上の
ミスが増えて度々酷く怒られるなど現実は厳しくのしかかり、
心の傷は更に深く深くエグれて行くばかりだった。しまいには
幻覚まで見えるようになってきて、どんどん壊れて行く、凄く
精神的に荒んだ1年だった。
 学会発表や論文発表の実績をかなり積めたが、それで気持ち
が晴れることは無かった。その裏でどれだけけなされたのか、
怒られたのかを考えると、手放しでは喜べなかった。
 それでも俺は、患者さん達に笑顔を向けることができている
ということで、まずは自分を褒めてやりたいと思う。

4月

 モンハンワールド、たまほく氏とオンラインで遊んだり。
 中旬には、そーすいさん&しばさんご来臨。詳細は、以前の
記事を参照です。
 この頃から、明らかに酒の量が増えた気がする。

5月

 初旬ゴールデンウィークは例大祭があったりして、まだまだ
ハッピーに過ごせていた。自転車で浅草まで行ってMBFに参加
して、浅草寺でたこ焼き食ったりね。
 後半から、広島での学会に向けて、準備が激化。それに合わ
せてあれこれ怒鳴られる回数が増え、精神状態は最悪だった。
 この頃から「うっとり」という日本酒の旨い焼き鳥屋へ部活
終わった後に通うことが増えた。駆けつけビール一気飲みから
の日本酒というパターン。それで焼き鳥を喰らい、仕事の愚痴
を反芻しまくるという不健全な状態が増えた。酷い時はビール
2〜3杯一気飲みしてから日本酒行くことも。泥酔して帰宅、
風呂にも入らずソファーや地面にごろりと寝て、翌朝風呂して
仕事へ行くこともしばしば。この頃を境に、あまり寝る前風呂
せず、朝風呂する頻度が飛躍的に増えて行った。

6月

 広島での学会。発表はつつがなく。お好み焼きは旨く、幸い
自由行動する時間を思った以上に頂けた。最終日、家路につく
までの僅かな時間を利用して、念願の呉軍港まで足伸ばした。
広島や呉は、また遊びに行きたい。
 原爆ドームも、ようやく観に行けた。
 戦没された皆様に、心からの哀悼を。
 呉麺やも旨かったな。帰りは、広島カープ弁当頬張りつつ、
雨後の月純米大吟醸4号瓶を空けたな。
 台湾から従弟が来て、一緒に巨人戦を観に行ったりもした。
陽岱鋼も出場して、従弟御満悦だった。
 「うっとり」以外に、市川「たまや」行くパターンも。
 生牡蠣食べたさすぎて、行ってたな。
 上野で台湾フェス。
 新橋の、台湾麺線って店の存在をここで知った。
 この辺りから7月にかけて、外勤先の成田で何回かうな重を
食したり。滋養強壮。でもぶっちゃけ俺は「うなとと」の方が
好きかも知れない。
 その他、ガンエクにて万年勝率三割な俺だったが、この時期
からケンプファー使い出して勝率が結構上がった。

7月

 7月1日、どこまでもスパイラルしていた精神に唆されて、
突然俺は松本逃避行を始めた。東方信州祭というプチオンリー
が開催されてたこともあり、また信州の酒が飲みたいと思って
いたことで、強行。プチオンリーではサークル幽閉サテライト
のライブが開催されていて、楽しかった。蕎麦も食べて、城も
観に行って、そして気が付いた。松本は、20年前、仮面浪人
として俺が信州大学医学部を受験した、その町であると。勿論
落第したからこそ、慶應継続して今の俺が在る。
 帰りは出来立ての山賊焼き弁当もぐもぐしながら、知る人ぞ
知る「十六代九郎右衛門」雄町純米大吟醸4号瓶1本空けた。
 ベラボーに旨かった。
 このお酒には曰くがあって、、、。
 杜氏が亡くなった際、彼には一人娘しか居なかったそうだ。
娘はまだ大学生で、まだ酒を造れなかった。このままでは蔵が
滅んでしまう、こんな美味い酒を廃れさせるには忍びないって
ことで、ライバル蔵の若手杜氏がこの娘さんと結婚し、酒蔵を
継いだ。そして、当時よりさらに美味い酒を造るようになった
という顛末。
 ホームパーティーにこれまでも信州の酒が登場してたけど、
ここから頻度が更に上がるようになったっけなぁ。かなり信州
の酒がマイブームとなっています。大信州、とかね。
 さて、この松本旅行、終わった直後は逆に物凄い鬱で、一番
死にたい欲が出た。辞世の句まで詠んでみたり。しかし俺は、
ここをなんとか乗り切った。
 成田祇園祭に行った。山車が駆けるのを観たり、屋台料理の
ジャンキーな味わい舌鼓を打ったり。
 他方、池袋の日本小児皮膚科学会で勉強したり。
 アケマス15周年を祝うプロデューサー飲み会もあった。
 親と軽井沢遊びに行ったりした。チーズ美味でしたよー。
 ブラザーズとも飲んだな。
 そーすい&しばさん遊びにきて(2018年はちょいちょい
来ていた。マジ嬉しい)、家呑み、翌日は後楽園ホールにて、
火祭りを見たり。
 C;ONってグループのパフォーマンスが気に入った。
 リングに赤一色の衣装マジ映える。
 こうしてみると、7月、最初は精神状態最悪だったけれど、
楽しいことは多かったかな。
 ここまでアゲアゲ満載で来て、ようやく、悲しみを少しだけ
和らげられるのかも。うん、今思えば、良い7月でした。

8月

 俺の大好きな夏コミ。えーりんTシャツで出撃したり。
 滋賀の、かつての同級生来臨。一緒にコミケ出撃。そして、
水上バスからの新橋の台湾麺線。素晴らしかった。
 夏コミは53万人、3日目は過去最多タイの21万人。
 「メーテルの呑み鉄」最高です。
 そしてコミケ終了後。
 2日後、またビッグサイトへふらり。
 プレゼン作成、ビッグサイトでやろうという魂胆。
 そう、ここから9月10月と発表が連続するハードモードに
突入するのでした。
 その夜、盟友むらさきさんご夫妻に招かれ、六本木「山都」
にてディナー。良い店です。
 ホームパーティーで、アボガドディップ、生ハムのフルーツ
とチーズ包み、俺カルパッチョの3点セットが、この時期から
標準化して来た。
 なゆみん、よろまんさん、カノレたんと西船橋「かいざん」
でラーメンオフしたり。
 そして8月ラスト、俺は学科発表のため大阪へ。

9月
 大阪での学会、どうにか発表を終え。
 帰りは日本橋でコミトレ後の皆様に混じってメロン。
 そこで劇場版マクロスΔブルーレイ買ったな。
 最後は大阪駅でかつての学友と呑み。
 戻った翌日「うっとり」で爆発発散一人呑みしたっけなぁ。
散々飲んでから、なぜかモスバーガー行って更に食べて、帰宅
して更に飲んで居た。どんだけ鬱憤が溜まってたんだかねぇ。
 そして、この月は殊更よく怒られた。本当にキツかったな。
 楽しかったこととしては、日本酒同好会。寿司だったんだが
レベルがハンパなかった。翌日、新宿にできた台湾スイーツの
「騒豆花」行ったり。冬瓜糖の味が強いタイプだった。この頃
とにかく豆花食べたかったっけな。
 台湾といえば、KAVALANウイスキーにも手を出した。
 本気で旨いウイスキー。
 家族と京都へ行ったりもした。伏見参拝。嵯峨嵐山にも足を
伸ばした。
 月末期。いよいよ10月学会秒読みって時、午前3〜4時に
マンションの火災報知器故障で叩き起こされたり。全棟、火災
アラームが鳴り響いて騒然となったけど、結局誤作動。
 そのせいで、その日はほとんど眠れなかったっけな。

10月

 豪州は雪梨で学会発表。1週間ほど居たな。毎日勉強してた
けど、それ以上に毎日呑んだくれてた。生ビールが最高に旨い
ってのと、ワインも旨い。だけど、ストレスはマッハだった。
だからこその呑んだくれだったな。オペラハウス、想像以上に
大きかった。あとは、リアル退役駆逐艦が湾内にあって、迫力
あったな。親戚も住んでいて、御馳走になった。
 あそこは、もはや白人の街ではなく、道を歩けば中華移民が
目につく。街並みも、東南アジアっぽくなっていて、実際俺は
中国語で道を聞かれたりした。そこで食べる中華料理は、実に
本場っぽい。移民を受け入れることについて考えさせられた。
 、、、ただ、土地買い占めて地下爆上げして土地の住民達を
合法的に追い出す手法は、俺はあまり良い気分じゃないなぁ。
 しかし、台湾の米漿が買えるってのは、マジヤバいですね。
 いいなぁ、日本でも買えたらなぁ。
 自販機で鎮痛薬売ってたのワロス。
 おっさんカンガルーも居ましたよ。
 まぁ、新鮮な体験出来たって意味では、収穫も多かったな。
 できればいつかまた、今度は旅行として行きたいな。
 帰国後にあった楽しいこととしては、しばさん&そーすいと
常盤台「鳥新」呑みに行ったこと。最高に旨い。
 そして、秋季例大祭。前年に引き続き「蓬莱泉輝夜」買う。
 この月は一人で「しもみや」行ったっけな。松茸の釜飯に、
釣られましたよ。
 ワルキューレライブのDVD買った。ワルキューレ好き。

11月 

 ホームパーティー、大信州の鑑評会出品仕込み「四十五号」
が登場したり。会津日本酒指南役認定証を頂いた。試験八割に
見事合格したのです。でも俺会津の酒は飛露喜と写楽しか知ら
なくて、それもそこまで詳しくないというね。たまたまプール
問題から会津ローカルがあまり出なくて、一般知識問題が多く
出たので合格出来たのです。
 勝田台のバー「MINE'z」。バーだが、実際は日本酒充実、
料理ガチウマ。十四代愛山が、この頃は呑めたり。
 そして、みらいさんの結婚式。式には仕事で行けなかったん
だけど、その翌日の打ち上げ呑みには、なんとか間に合った。
ほんと、めでたい。自分のことのように嬉しいです。
 そのまま夜はそーすいさんとドキドキツインルーム。
 からの、みけーたさんを千葉まで拉致って、咲村さんも合流
しての家呑み突入というね。大信州「手いっぱい」を。それと
蔵が火事でダメージを受けた播州一献も支援呑みした。翌日は
プロレスリングWAVEも皆で観に行ったな。面白かった。
 アニゴジ第三作も観た。はいはい虚淵虚淵。一人突っ走る系
の主人公はまどマギのほむら同様ですかな。
 あとは、研修医時代世話になった先生や同期や後輩とで上野
呑み敢行。うましうまし。
 親父殿と池袋B浜で呑んだり。市川「たまや」や、アキバの
メシウマなメイド喫茶ハニハニにも行けたな。結構こっち方面
は充実していた。
 だけど、仕事では怒られる事案発生しまくり、重大なミスも
出たりして(死人が出るようなものじゃあ無いけど、それでも
あっちゃいけないミス)、ほんま精神的にはどんどん悪い方向
へ向かって行った。それだけに、ほんま沢山呑んだ。

12月

 学会発表。つつがなく。それに至る過程で怒られまくるって
言うのはホンマ辛いぜセニョール。
 この頃、パワプロ2018にハマる。サクセス楽しい。栄冠
ナインも楽しい。
 某忘年会はブラック企業っぷりが露呈してマジ萎えた。社長
の専横ってやつ。勝たせてやれよ、、、。
 ラーメン食べ歩きも敢行。王子伊藤、相変わらず神。
 まさか鶴見のカラオケで一晩過ごすことになるとは。
 ホームパーティーもやった。鶏ガラ一番煮込んだ出汁。普通
に水炊き風として食べて、白子や牡蠣入れて海鮮風味にして、
最後トマトブチ込んで、という味変を仕掛けて成功出来たぁ。
 学会終わってからは、少しはマシになったけど、8月からの
累積ダメージでグロッキーなままでした。
 遂には、俺を怒りに来る上司の幻覚が見えるようになった。
会議出席中とか、普通に真正面から現れて俺を怒鳴りつけるん
だけど、どう考えてもありえないタイミングで来るから、ああ
これは幻覚だな、と。いわゆるフラッシュバックにも苛まれる
ようになった。鮮明な怒り顔の上司の画像が目の前に迫ったり
して、それだけで物凄く嫌な気分になる。
 普通であれば、ここまで来たら仕事辞めた方が良いと思うん
だけど、ここまで積み重ねた専門医取得のための実績を思うと
辞められないんだよね。
 そんな苦しい時空の合間合間に、ふと以前恋人と幸せだった
時代を思い出して、更に苦しくなったり。
 そして、冬コミに突入するのであった。
チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 19:36 * comments(0) * trackbacks(0)

2016.6-2018.3 失われた時間

 最新の日記エントリーは、2018年4月。
 その前は、2016年5月にまで遡ります。
 その間、約2年ほど。
 そろそろ補完しましょう。失われた時間、何があったのか、
月ごとダイジェストでお送り致します。
 幸せだった時間、悲しみに明け暮れた時間。
 人生のアップダウン激しかったこの時間を。
 鬱成分多いので、嫌な人は記事ごとスルー。

ーーーーー

2016年

6月
 皮膚科研修が終わり、次に進んだのは精神科。正直、とても
楽しかった。もともと興味のあった科だったし、周囲の反対が
無ければ俺は精神科医になっていたと思う。
 精神科の研修は、中野某所の病院ではなく、練馬某所のこれ
また非常に古い病院で行われた。9時5時と労働時間は非常に
楽だったけれど、朝早く電車に乗らないと間に合わなかった。
だから、常に寝不足だった。勤務中にうつらうつらと寝てたw
 でも、精神科は最高だった。人の狂気に触れて色々考えさせ
られることも多かったし、病院だけでなく、指導医と共に地裁
行って精神鑑定を見学したり、週1回はクリニックやデイケア
を見学させて頂いたりと、盛り沢山な内容だった。

7月
 引き続き、精神科研修。そう、2ヶ月もやった。それだけ、
俺は精神科に興味があったのだ。
 この頃になると、もう慣れたものだった。
 お昼は、病院の近くに回転寿司やイタリアンのファミレスや
蕎麦屋があったりして、それらをローテーションしていた。
 帰りは石神井から荻窪までバスに乗って、そこでメシにあり
ついた。ホープ軒系の久保田ってラーメン屋がお気に入り。
 メリサとも、度々荻窪のナムコで艦これ遊んだりしていた。
 、、、実に幸せな日々だった。
 自転車で中野から石神井まで乗って出勤したこともあった。
 実は電車に乗り遅れた時、自転車で挽回出来たりも。
 ヘトヘトだったが、研修自体は楽しかったので平均だった。
 飲酒テスト、一生忘れないかも。
 そして、シン・ゴジラである。メリサと観に行って、親父様
とも観に行った。度肝を抜かれたなぁ。素晴らしい映画。俺は
大好きです。

8月
 耳鼻科研修。
 進路に悩んでいて、皮膚科も凄く魅力的だったが、対抗馬に
挙げていたのが耳鼻科。結果として俺が耳鼻科医となることは
無かったものの、研修そのものはとても楽しかった。
 すごく性格のおっとりした女性の部長先生、そして面倒見の
良い常に笑顔な女性の先生。でーんと構えた堂々たる雰囲気の
専属看護師さん。無表情だけどホントは優しい技師さん。
 楽しかったけど、俺には精密な操作は無理だと改めて気付く
ことが出来て、また皮膚科以上の「しっくりくる」感を感じる
ことが出来なかった。こればかりは、相性です。だけど本当に
素晴らしい研修で、たくさん勉強になりました。
 そして勿論、コミケ、フル参加。
 初日は従弟のプーさん&シンガポールからの明鏡止水氏と。
この年は、まだ2日目が艦これ+東方の激突戦域でした。で、
3日目の朝は、何故か外周の海辺を歩いて虫観察してたっけw
 それと、東雲作戦の概要をようやく掴めた回でもあったな。
 そして、こんな事件もあったっけ:

場内アナウンス
「先程お知らせした8歳の迷子ですが、
 無事に、解決しました」
途端に巻き起こる全場内20万人の拍手
世界一祝福された迷子だなぁおいwww

9月
 地域医療研修。
 前半15日は某医師会副会長についていく。で、彼の手配で
様々な診療所を1日体験していく。また、消防庁の電話窓口の
1日体験があったり、夜講演会に連れてってもらったり、旨い
モンを色々食わせて頂いたり。ひたすら楽しかった。
 帰りの自転車で、道に迷う90歳の老人を家まで連れてって
あげたりしたっけなぁ。
 後半15日は透析クリニックで過ごす。正直QOL最高。
 午後は往診業務見学なんてのもありました。中野区の貧困層
ってのを学ばせて頂きました。ホント、日本人は貧乏。貧富の
格差が酷すぎる。金持ちは天井知らずだろうけど、貧乏人は、
そこから抜け出せません。セーフティネットとは。
 都会のど真ん中、狭い路地裏を抜けると、そこには海の家が
ありました。そこには、、、っていうのは、一生忘れられない
光景かも。

10月
 某大学病院にて小児科研修。
 普段働く市中と大学病院の違いを目の当たりにして、将来、
大学病院では働きたくないなと思った。だけど結局その後俺は
大学病院に就職するという、なんというか、、、ね。
 この時、俺は皮膚科医としての進路を決断。病院見学などを
開始するのであった。
 映画「君の名は」をメリサと観に行った。正直新海誠が世に
出るのは予想以上に遅かった。もっと早めにスマッシュヒット
しててもおかしく無かったですよ。
 ガンダムUCもDVDで鑑賞完了。名作だった。
 この時期も朝早かったけど、それより更に早起きして駅前の
吉牛で特盛食うのが楽しみだったけな。牛丼好きです。
 この頃からかな?漫画「キングダム」にハマったのは。

11月
 放射線科研修。
 日々、20ゲージを患者さんの腕にブッ刺し続ける。
 楽しいw
 俺は静脈ルート取るの大好きだったんだな。
 皮膚科では決して出来ない。
 一生分のルートを、ここで取ったのかも。
 嗚呼、ルートだけでメシが食えたら良いのになぁw
 この頃、結構CT画像見れるようになった気がしてた。
 今となっては、、、(汗汗汗
 さて、この月は、トランプ氏が下馬評覆して歴史的大勝利。
 とにかく「こりゃ凄い時代が来るゾ」って思ったっけなぁ。
 そして、もう一つどんでん返し。
 もともとは小児科研修する大学病院への入局を決めていた。
 なのに、色々縁あって、その後務める千葉の病院への入局を
ギリギリになって決めたのだった。元の大学を裏切る形でね。
 、、、果たしてその決断はよかったのかどうか、ねぇ。
 その、千葉の病院見学に行ったのが、この月の出来事。
 最初の印象、良かった。
 まぁ、、、。
 下手な、身の丈に合わぬ意識高い系は、身を滅ぼします。
 その他、艦これ劇場版も封切りされましたね。
 鳥海提督としては万々歳でした。
 他には、某区日本酒同好会でシャトーブリアン食べたり。
 とてもハッピーな1ヶ月でした。

12月
 本来であれば整形外科研修のハズでした。それが、病院側の
急な事情で、皮膚科志望ってこともあり、ここから皮膚科研修
を再開。結局12月、1月、3月と皮膚科の勉強を続けます。
2月は形成外科で、これもまた皮膚科領域と大きく重なる。
 というわけで5月以来の皮膚科ですが、やっぱり楽しかった
です。しかも、皮膚科志望ということで、戦力扱いしてくる。
かなり充実した気分でした。おまけに、on-offハッキリ。
 いやぁ、働きやすかった。
 でも、この環境が、後々俺の皮膚科後期研修に対する誤解を
助長していたんだろうなぁ。このぬるま湯の環境がね。
 さて、冬コミもきっちり行きましたよ。
 しかも初日は始発組!2日目はメリサと一緒に。
 3日目もゆっくりめか。
 冬コミも楽しかったな。
 一番幸せな時期だったと思う。掛け値無しにね。

ーーーーー

2017年

1月

 年明けて2017年。
 1月も引き続き皮膚科研修。
 唯一無二と信じていた人と、生涯共に歩んで行くんだと心の
底から信じ、この上なく幸せだった天国のような日々。仕事も
充実感があり、皮膚科って楽しいことばっかりだなって本気で
思っていた、純粋だった日々。中野での皮膚科研修は、本当に
それくらい楽しかったのです。
 むらさきさんの結婚も、この時期だったな。
 順風満帆、まさに最高の時間を過ごしてた。
 苦手な冬なのに、心の中は春爛漫、だった。
 どんなに疲れていても、あの人が傍にいるだけで何もかもが
救われる、そんな気持ちで居たんだっけ、な。

2月

 この月は、形成外科研修へ。
 俺の中での形成外科リスペクトは、この時に完成した。
 彼らほど、ひと針ひと針、丁寧に考え抜いた上で縫っている
科は居ないだろうな。様々なことを教えて頂いて、正直、もし
俺がここで形成外科回らなかったら、きっと今もっと苦労して
居ただろうなと思う。縫合に関してかなり教えて頂けたんだ。
 H先生、本当に、ありがとうございました。
 東京マラソンの医療班にも参加。2回目の参加となります。
先頭集団のスピードは本当に印象的。
 恵方巻き、、、恵方巻きは、いいもの、だ。

3月

 再び皮膚科に戻る。
 この時には、もうかなり自信がついて来て居たと思う。
 皮膚科4ヶ月+形成外科1ヶ月、おまけに幸せの真っ最中、
精神的にはこれ以上なくイケイケだった。
 だけど、これが中野での最後の1ヶ月。
 新居が決まったり、送別会に参加したりして行く内に、慣れ
親しんだ環境から去る寂しが募って、感傷的になっていた時期
だったと思う。
 そして誕生日の日、遂に俺は居を千葉県に移したのだった。
 からの、勤務最終日。後ろ髪を引かれる思いで、俺は職場を
後にするのでした。あの病院には、もう、ただただ感謝です。

4月

 新居は、それまでのワンルームから、一気におっきな部屋に
なりました。2LDKです。住宅環境は大幅に向上。
 明鏡止水氏が日本での長い調査機関を終え、アメリカへ戻る
直前に、泊まりに来たり。そして、見送り。彼にはアメリカで
是非研究を完成させて欲しいものですね。
 新たな職場に移り、新たな人達との出会い。
 そこまで詳しくは、ここでは書くまい。
 4月は、しかし、まだまだ楽しかった。
 なんだかんだでお客さん、ですからね。
 俺を引き抜く際の条件の一つだった、9時5時勤務も、黙認
していただけて居ました。
 本当は、ひたすら辛い日々が始まろうとして居たのですが、
ただこの時はまだ隣にメリサが居て、何が来ても大丈夫と俺は
思って居たのでした。
 そう、この時、俺は夢にも思って居なかったのです。
 2ヶ月後、幸せが、終わることに。

5月

 先輩の発表のため沢山居残っているのを見て、心に黄色信号
が灯って居た時期。日当直の33時間勤務でアタフタして居た
時期。それが中3日で来て、ゴールデンウィーク潰されたり。
 研修医時代の仲間の結婚式に参加したり。この人はすっごい
リスペクトしていて、将来きっと大物になります。
 他には、単独で神戸の学会行かせて頂いた。発表ではなく、
まずは雰囲気感じて来いってんで、参加のみ。正直、旅行気分
でした。楽しかった。
 後に「天職」と感じるようになる、外勤も本格的に始動して
居た。外来アルバイトは、本当に楽しくて、これを書いている
今でもそれは変わらない。
 職場の先輩やメリサを交えて家呑みもやったな。
 バラ園にも一緒に行ったっけ。あと、浅草で似顔絵を書いて
頂いたり。まさかこの頃既に、あの結末に至る最後のボタンが
発射されて居たなんて。まさか、まさか。もうあの子は別れる
気持ちで居たなんて。

6月

 夢の終わり。キモヲタ☆ノーガード、涙の最終回です。
 この月は、ディズニー・イースターにも行ったよなぁ。
 夜、アキバで一緒に飲んで居て「好い酒、佳い肴、善い女。
男として、これ以上何を望まんや」なんて有頂天になってた。
 俺は何も気づいて居なかったんだ。
 もう、やめよう。この時の事を書いたら、今でも心が潰れて
しまいそうになる。心って折れるだけでなく、圧壊もするもの
だったんだな。
 この月の後半。敢えて書かないけど、何日だったのか、まだ
今でも覚えていますよ。
 そう、その日、俺達は別れたんだ。
 そして世界は闇に閉ざされたんだ。

7月

 自転車を、買い換えた。元々はメリサ宅まで電車で輸送する
のに便利な折り畳みミニベロだったけど、思い切って5万円の
クロスバイクにした。傷む心を振り切るかのように、俺は愛車
を漕ぎまくった。仕事が終われば10キロの道のりを走って、
都会の方まで晩飯食べに行ったり部活に行ったりした。
 この時はまだ、ほぼ毎日5時に帰って居たのだった。
 それと同時に、この月は俺の学会発表デビューだった。最初
からイキナリ大きな会場で発表させられた。準備は必死。日常
の業務も少しずつやることが増えて、多忙化の兆しを見せた。
でもそれは、却って良かったのかも知れない。
 何をしても心が痛くない日は無かった。それは、今でもまだ
続いている、、、うん、これも詳しく書くのはやめる。
 ともかく、辛い時期だったが、そこに忙しさも加わり、でも
なんとか自殺せず乗り切った自分を褒めてやりたいな。

8月

 大!傷心旅行敢行!
 というわけで、大親友しろわいん丼が俺の傷心に付き合って
下さいました。3日間の夏休みをコミケから繋げて、コミケに
参加し終えた翌日は静岡へ。そこで高校の後輩Kくんと合流、
俺的に蕎麦全1である戸隠そばの磯おろしを頂く。
 その後、焼津へ。花火大会を磯自慢呑みながら鑑賞ですよ。
 途中の「大崩れ音頭」は面白かった。
 「わたっしゃ、あーなたーに、おーおくーずれー♪」
 で、夜は駅前銭湯で過ごし、翌早朝に静岡駅戻って新幹線で
京都へ。伏見稲荷詣で。からの、山本本家・鳥せいにて遅めの
ランチを。ベロンベロンとなったところでまた品川まで戻り、
バスでアクアラインまたいで木更津の花火大会へ。
 強行軍でしたねぇ。
 この月はコミティアにも参加。金銭面で少し安定してきて、
様々な即売会へ行き易くなったと思う。

9月

 アケマスのプロデューサー数十名集めた飲み会が開催された
のが、この月。壮観だった。よろ万屋さん、あづきゅん、TK
さん、なゆみん、綾人さん、田村ゆかりん、犬娘、時々お会い
する皆様も、超絶久々な皆様も、こうして会えるのマジ嬉し。
 サンクリのも行けました。職場の先輩と。そこで真咲氏とも
一瞬だけ再会したり。即売会、こういうのもまた楽しい。
 この頃はまだ、仕事上がりに船橋周辺や南船橋ららぽーとへ
晩飯喰いに行けてた気がする。それと、柏のラウワンあたりに
足を伸ばしたりも。道中の味噌ラーメンがやたら美味かった。
何度かリピーターしてます。

10月

 心の傷は癒えないながらも、まだ俺の中にバイタリティーが
残っていた。実際、あの傷がじわじわと俺の元気を奪う性質と
気付くのは、まだまだ先の話。
 この月は秋季例大祭、コミ1、キャラ1がありました。
 「空」などで有名な愛知県の酒造:蓬莱泉が「蓬莱泉輝夜」
という純米大吟醸酒と「凱風快晴」という純米吟醸酒を例大祭
で売ってた。どちらも何本か購入してホームパーティーに使用
したっけな。
 夏、秋頃から自宅でホームパーティーする頻度が上昇して、
ここからまた料理の腕がどんどん上がって行くのでした。
 月末には熊本の学会へ。この時は発表ではなく勉強オンリー
だったので、気楽でした。馬刺し、旨かった。熊本ラーメンも
揚げニンニク醤油が聞いていて素晴らしかった。北熊とかマジ
記憶に残る味。好き。

11月

 この月は、発表。その準備に追われ、発表はつつがなく終了
したが、どっと疲れた。
 この頃になってくると気持ちの落ち込みが酷くなってきて、
忙しさもあり、息切れな日々が続いていました。
 とにかくこの発表前後でしんどかったという記憶しかない。

12月

 いよいよ寒くなってきて、パフォーマンスも士気も堕ちる。
しかし外勤アルバイトだけは、それでも楽しくやれていること
に気付き、はっきりと自分の適性に気付く。
 この頃になると、寒いため自転車遠出が減流。その代わり、
近くのラウワンでの一人カラオケが増えた。日付またいで歌う
こともしばしば。AAAの「僕の憂鬱と不機嫌な彼女」をキー
4つあげて、DAMの精密採点94点を叩き出したり。他には
ランカ・リーのSongbirdも気に入ったり。
 、、、スピッツの「おっぱい」歌っては涙を流したりw
 チェリーも泣けるけど、おっぱいの方が泣けるwwwww
 「もうこれ以上の 生きることの 喜びなんか知らない」
 うぐぅっ、、、。
 他には、エニグマブラザーズと忘年会したり。で、俺の理想
の女性像をリアルで探すにはキャバクラしかないという理屈が
炸裂して、ここからブラザーズと会うと高頻度でキャバクラへ
行くようになったっけ。
 ホームパーティー忘年会もやった。ハーブチキンなんてのに
挑戦してみたり。うまく出来た。
 そして、冬コミ。この冬コミでは本格的に東雲作戦を運用。
この時、8〜9時の東館なら東雲スタートが有利でした。
 初日会場ではしろわいんさんと合流。
 二日目はたまほく氏を案内。途中よろまんさんとカノレたん
合流して、恒例の「チャンプぅぅぅぅぅぅぅ!ガシッ!」で、
周囲のホモォ属性好きな女子の注目を浴びたり(?)w
 防災公園のコスプレ覗きに行ったりもした。
 お昼はアルポルト。
 コミケらしくない静寂のアルポルトw
 3日目は、とにかく感傷的になってたな。この一年の辛さが
一気にこみ上げてきて、コミケ会場の愛に包まれて、頭の中が
ぐっちゃぐちゃになってた。
 某所で、以下の書き込みで、2017年の記録を終える。

ーーー

 ここで仲間と来年の健勝を称え合いつつ別れる。コミケ会場
の腕(かいな)に一人抱かれ、再度、沈思黙考す。
 閉眼し、暫し、この一年間に思いを馳せる。
 辛い、辛い一年だった。
 物質的・立場的には決して悪くなかったが、期待や希望を
悉く打ち砕かれ続け、総ての夢が暗黒に覆滅したかのように
思え、精神的には過去最悪のレベルにまで追い込まれた。
 こんな思いをするために、頑張ってきたわけではない、耐え
てきたわけではないと、口惜しさばかりが募る一年だった。
 しかし、そんな俺を支える、数多の好意や優しさがあったの
も確かだ。そうでなければ、ここまでやって来られなかったで
あろう。彼ら彼女ら一人一人への感謝が募る。
 そして今、俺はここ、夢の国に立っている。夏、冬と、夢が
俺を包む。ここでの夢はもうすぐ終わるが、そこからまた新た
な夢が紡がれる。俺達参加者一人一人が、それを繋いで行く
のだ。だから俺は生きていける。
 ありがとう、そしてありがとう。
 また約束の地で、再び会うその日まで。

ーーー

2018年

1月

 元日から日当直入っていた。24時間勤務。その、病院内で
寝ているときに見た初夢に、黒髪ロング巨乳美人が登場して、
全俺が喜んだw
 中野勢で新年会やった。
 番長さん、らばさん、kengoさんとも久々。
 相変わらず深夜までの一人カラオケが多かった。ラウワンの
選べるフライドポテトが気に入ってたり。大雪の日も、終電が
終わってからも歌っていて、歩いて帰ったり。
 しばさん&そーすいさんの襲撃もあった。翌日長州力主催の
プロレス大会「パワーホール」を観に行ったり。長州力、まだ
あんなに動けるんだなぁ。
 日本酒同好会、ふぐ鍋だった。
 この会はいつだって最高。
 バーフバリ2を観に行った。好き。他には、新海誠監督作品
をレンタルで全部見終わったのも、この時期。

2月

 鬱時空が加速。もともと冬が弱いので、ダブルで精神状態が
ダウンスパイラルしていた時期。
 そんな中、エニグマブラザーズの仲間に、待望のベビー誕生
という嬉しいニュースが。
 ビッグサイトで砲雷撃戦よーい!と東方小規模オンリーなど
いろんなオンリーが同時開催されるBS祭へ行った。
 劇場版マクロスΔ「激情のワルキューレ」上映。
 新曲「Change!」は圧巻だった。
 研修医時代の後輩と東中野「しもみや」で呑み。ここは凄い
おもてなしクオリティが高い、素晴らしい店です。

3月

 この月、台湾の外祖母が亡くなり、急遽台湾へ。葬式に参加
した翌日には日本に戻るハードスケジュール。
 大往生だった。
 また1人、綺麗な日本語を喋る台湾人が亡くなったのだ。
 特に学会発表などが無い時期で、仕事自体はそこまでハード
では無かったかと思う。
 東京マラソンの医療チームにも、例年通り参加。これは凄く
楽しい仕事です。
 他には、PS4とモンハンワールドを買った。
 遂にPS4です。
 サンクリにも行って来た。からの、真咲氏&Mizda氏と池袋
のフライデーズへ。
 エニグマブラザーズを初めて家に招いた。うぇるかむ!
 この月の終盤、自宅での俺の誕生日パーティー。
 こんな俺でも誕生日祝って下さる方々がいるのは、本当に、
嬉しかった。
 悪くない3月だったが、、、しかし、心のトンネルは、まだ
抜ける気配がしなかった。
チャンプ(−O−) * ぐだぐだ * 13:30 * comments(0) * trackbacks(0)
このページの先頭へ