最新の日記エントリーは、2018年4月。
その前は、2016年5月にまで遡ります。
その間、約2年ほど。
そろそろ補完しましょう。失われた時間、何があったのか、
月ごとダイジェストでお送り致します。
幸せだった時間、悲しみに明け暮れた時間。
人生のアップダウン激しかったこの時間を。
鬱成分多いので、嫌な人は記事ごとスルー。
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2016年
6月
皮膚科研修が終わり、次に進んだのは精神科。正直、とても
楽しかった。もともと興味のあった科だったし、周囲の反対が
無ければ俺は精神科医になっていたと思う。
精神科の研修は、中野某所の病院ではなく、練馬某所のこれ
また非常に古い病院で行われた。9時5時と労働時間は非常に
楽だったけれど、朝早く電車に乗らないと間に合わなかった。
だから、常に寝不足だった。勤務中にうつらうつらと寝てたw
でも、精神科は最高だった。人の狂気に触れて色々考えさせ
られることも多かったし、病院だけでなく、指導医と共に地裁
行って精神鑑定を見学したり、週1回はクリニックやデイケア
を見学させて頂いたりと、盛り沢山な内容だった。
7月
引き続き、精神科研修。そう、2ヶ月もやった。それだけ、
俺は精神科に興味があったのだ。
この頃になると、もう慣れたものだった。
お昼は、病院の近くに回転寿司やイタリアンのファミレスや
蕎麦屋があったりして、それらをローテーションしていた。
帰りは石神井から荻窪までバスに乗って、そこでメシにあり
ついた。ホープ軒系の久保田ってラーメン屋がお気に入り。
メリサとも、度々荻窪のナムコで艦これ遊んだりしていた。
、、、実に幸せな日々だった。
自転車で中野から石神井まで乗って出勤したこともあった。
実は電車に乗り遅れた時、自転車で挽回出来たりも。
ヘトヘトだったが、研修自体は楽しかったので平均だった。
飲酒テスト、一生忘れないかも。
そして、シン・ゴジラである。メリサと観に行って、親父様
とも観に行った。度肝を抜かれたなぁ。素晴らしい映画。俺は
大好きです。
8月
耳鼻科研修。
進路に悩んでいて、皮膚科も凄く魅力的だったが、対抗馬に
挙げていたのが耳鼻科。結果として俺が耳鼻科医となることは
無かったものの、研修そのものはとても楽しかった。
すごく性格のおっとりした女性の部長先生、そして面倒見の
良い常に笑顔な女性の先生。でーんと構えた堂々たる雰囲気の
専属看護師さん。無表情だけどホントは優しい技師さん。
楽しかったけど、俺には精密な操作は無理だと改めて気付く
ことが出来て、また皮膚科以上の「しっくりくる」感を感じる
ことが出来なかった。こればかりは、相性です。だけど本当に
素晴らしい研修で、たくさん勉強になりました。
そして勿論、コミケ、フル参加。
初日は従弟のプーさん&シンガポールからの明鏡止水氏と。
この年は、まだ2日目が艦これ+東方の激突戦域でした。で、
3日目の朝は、何故か外周の海辺を歩いて虫観察してたっけw
それと、東雲作戦の概要をようやく掴めた回でもあったな。
そして、こんな事件もあったっけ:
場内アナウンス
「先程お知らせした8歳の迷子ですが、
無事に、解決しました」
途端に巻き起こる全場内20万人の拍手
世界一祝福された迷子だなぁおいwww
9月
地域医療研修。
前半15日は某医師会副会長についていく。で、彼の手配で
様々な診療所を1日体験していく。また、消防庁の電話窓口の
1日体験があったり、夜講演会に連れてってもらったり、旨い
モンを色々食わせて頂いたり。ひたすら楽しかった。
帰りの自転車で、道に迷う90歳の老人を家まで連れてって
あげたりしたっけなぁ。
後半15日は透析クリニックで過ごす。正直QOL最高。
午後は往診業務見学なんてのもありました。中野区の貧困層
ってのを学ばせて頂きました。ホント、日本人は貧乏。貧富の
格差が酷すぎる。金持ちは天井知らずだろうけど、貧乏人は、
そこから抜け出せません。セーフティネットとは。
都会のど真ん中、狭い路地裏を抜けると、そこには海の家が
ありました。そこには、、、っていうのは、一生忘れられない
光景かも。
10月
某大学病院にて小児科研修。
普段働く市中と大学病院の違いを目の当たりにして、将来、
大学病院では働きたくないなと思った。だけど結局その後俺は
大学病院に就職するという、なんというか、、、ね。
この時、俺は皮膚科医としての進路を決断。病院見学などを
開始するのであった。
映画「君の名は」をメリサと観に行った。正直新海誠が世に
出るのは予想以上に遅かった。もっと早めにスマッシュヒット
しててもおかしく無かったですよ。
ガンダムUCもDVDで鑑賞完了。名作だった。
この時期も朝早かったけど、それより更に早起きして駅前の
吉牛で特盛食うのが楽しみだったけな。牛丼好きです。
この頃からかな?漫画「キングダム」にハマったのは。
11月
放射線科研修。
日々、20ゲージを患者さんの腕にブッ刺し続ける。
楽しいw
俺は静脈ルート取るの大好きだったんだな。
皮膚科では決して出来ない。
一生分のルートを、ここで取ったのかも。
嗚呼、ルートだけでメシが食えたら良いのになぁw
この頃、結構CT画像見れるようになった気がしてた。
今となっては、、、(汗汗汗
さて、この月は、トランプ氏が下馬評覆して歴史的大勝利。
とにかく「こりゃ凄い時代が来るゾ」って思ったっけなぁ。
そして、もう一つどんでん返し。
もともとは小児科研修する大学病院への入局を決めていた。
なのに、色々縁あって、その後務める千葉の病院への入局を
ギリギリになって決めたのだった。元の大学を裏切る形でね。
、、、果たしてその決断はよかったのかどうか、ねぇ。
その、千葉の病院見学に行ったのが、この月の出来事。
最初の印象、良かった。
まぁ、、、。
下手な、身の丈に合わぬ意識高い系は、身を滅ぼします。
その他、艦これ劇場版も封切りされましたね。
鳥海提督としては万々歳でした。
他には、某区日本酒同好会でシャトーブリアン食べたり。
とてもハッピーな1ヶ月でした。
12月
本来であれば整形外科研修のハズでした。それが、病院側の
急な事情で、皮膚科志望ってこともあり、ここから皮膚科研修
を再開。結局12月、1月、3月と皮膚科の勉強を続けます。
2月は形成外科で、これもまた皮膚科領域と大きく重なる。
というわけで5月以来の皮膚科ですが、やっぱり楽しかった
です。しかも、皮膚科志望ということで、戦力扱いしてくる。
かなり充実した気分でした。おまけに、on-offハッキリ。
いやぁ、働きやすかった。
でも、この環境が、後々俺の皮膚科後期研修に対する誤解を
助長していたんだろうなぁ。このぬるま湯の環境がね。
さて、冬コミもきっちり行きましたよ。
しかも初日は始発組!2日目はメリサと一緒に。
3日目もゆっくりめか。
冬コミも楽しかったな。
一番幸せな時期だったと思う。掛け値無しにね。
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2017年
1月
年明けて2017年。
1月も引き続き皮膚科研修。
唯一無二と信じていた人と、生涯共に歩んで行くんだと心の
底から信じ、この上なく幸せだった天国のような日々。仕事も
充実感があり、皮膚科って楽しいことばっかりだなって本気で
思っていた、純粋だった日々。中野での皮膚科研修は、本当に
それくらい楽しかったのです。
むらさきさんの結婚も、この時期だったな。
順風満帆、まさに最高の時間を過ごしてた。
苦手な冬なのに、心の中は春爛漫、だった。
どんなに疲れていても、あの人が傍にいるだけで何もかもが
救われる、そんな気持ちで居たんだっけ、な。
2月
この月は、形成外科研修へ。
俺の中での形成外科リスペクトは、この時に完成した。
彼らほど、ひと針ひと針、丁寧に考え抜いた上で縫っている
科は居ないだろうな。様々なことを教えて頂いて、正直、もし
俺がここで形成外科回らなかったら、きっと今もっと苦労して
居ただろうなと思う。縫合に関してかなり教えて頂けたんだ。
H先生、本当に、ありがとうございました。
東京マラソンの医療班にも参加。2回目の参加となります。
先頭集団のスピードは本当に印象的。
恵方巻き、、、恵方巻きは、いいもの、だ。
3月
再び皮膚科に戻る。
この時には、もうかなり自信がついて来て居たと思う。
皮膚科4ヶ月+形成外科1ヶ月、おまけに幸せの真っ最中、
精神的にはこれ以上なくイケイケだった。
だけど、これが中野での最後の1ヶ月。
新居が決まったり、送別会に参加したりして行く内に、慣れ
親しんだ環境から去る寂しが募って、感傷的になっていた時期
だったと思う。
そして誕生日の日、遂に俺は居を千葉県に移したのだった。
からの、勤務最終日。後ろ髪を引かれる思いで、俺は職場を
後にするのでした。あの病院には、もう、ただただ感謝です。
4月
新居は、それまでのワンルームから、一気におっきな部屋に
なりました。2LDKです。住宅環境は大幅に向上。
明鏡止水氏が日本での長い調査機関を終え、アメリカへ戻る
直前に、泊まりに来たり。そして、見送り。彼にはアメリカで
是非研究を完成させて欲しいものですね。
新たな職場に移り、新たな人達との出会い。
そこまで詳しくは、ここでは書くまい。
4月は、しかし、まだまだ楽しかった。
なんだかんだでお客さん、ですからね。
俺を引き抜く際の条件の一つだった、9時5時勤務も、黙認
していただけて居ました。
本当は、ひたすら辛い日々が始まろうとして居たのですが、
ただこの時はまだ隣にメリサが居て、何が来ても大丈夫と俺は
思って居たのでした。
そう、この時、俺は夢にも思って居なかったのです。
2ヶ月後、幸せが、終わることに。
5月
先輩の発表のため沢山居残っているのを見て、心に黄色信号
が灯って居た時期。日当直の33時間勤務でアタフタして居た
時期。それが中3日で来て、ゴールデンウィーク潰されたり。
研修医時代の仲間の結婚式に参加したり。この人はすっごい
リスペクトしていて、将来きっと大物になります。
他には、単独で神戸の学会行かせて頂いた。発表ではなく、
まずは雰囲気感じて来いってんで、参加のみ。正直、旅行気分
でした。楽しかった。
後に「天職」と感じるようになる、外勤も本格的に始動して
居た。外来アルバイトは、本当に楽しくて、これを書いている
今でもそれは変わらない。
職場の先輩やメリサを交えて家呑みもやったな。
バラ園にも一緒に行ったっけ。あと、浅草で似顔絵を書いて
頂いたり。まさかこの頃既に、あの結末に至る最後のボタンが
発射されて居たなんて。まさか、まさか。もうあの子は別れる
気持ちで居たなんて。
6月
夢の終わり。キモヲタ☆ノーガード、涙の最終回です。
この月は、ディズニー・イースターにも行ったよなぁ。
夜、アキバで一緒に飲んで居て「好い酒、佳い肴、善い女。
男として、これ以上何を望まんや」なんて有頂天になってた。
俺は何も気づいて居なかったんだ。
もう、やめよう。この時の事を書いたら、今でも心が潰れて
しまいそうになる。心って折れるだけでなく、圧壊もするもの
だったんだな。
この月の後半。敢えて書かないけど、何日だったのか、まだ
今でも覚えていますよ。
そう、その日、俺達は別れたんだ。
そして世界は闇に閉ざされたんだ。
7月
自転車を、買い換えた。元々はメリサ宅まで電車で輸送する
のに便利な折り畳みミニベロだったけど、思い切って5万円の
クロスバイクにした。傷む心を振り切るかのように、俺は愛車
を漕ぎまくった。仕事が終われば10キロの道のりを走って、
都会の方まで晩飯食べに行ったり部活に行ったりした。
この時はまだ、ほぼ毎日5時に帰って居たのだった。
それと同時に、この月は俺の学会発表デビューだった。最初
からイキナリ大きな会場で発表させられた。準備は必死。日常
の業務も少しずつやることが増えて、多忙化の兆しを見せた。
でもそれは、却って良かったのかも知れない。
何をしても心が痛くない日は無かった。それは、今でもまだ
続いている、、、うん、これも詳しく書くのはやめる。
ともかく、辛い時期だったが、そこに忙しさも加わり、でも
なんとか自殺せず乗り切った自分を褒めてやりたいな。
8月
大!傷心旅行敢行!
というわけで、大親友しろわいん丼が俺の傷心に付き合って
下さいました。3日間の夏休みをコミケから繋げて、コミケに
参加し終えた翌日は静岡へ。そこで高校の後輩Kくんと合流、
俺的に蕎麦全1である戸隠そばの磯おろしを頂く。
その後、焼津へ。花火大会を磯自慢呑みながら鑑賞ですよ。
途中の「大崩れ音頭」は面白かった。
「わたっしゃ、あーなたーに、おーおくーずれー♪」
で、夜は駅前銭湯で過ごし、翌早朝に静岡駅戻って新幹線で
京都へ。伏見稲荷詣で。からの、山本本家・鳥せいにて遅めの
ランチを。ベロンベロンとなったところでまた品川まで戻り、
バスでアクアラインまたいで木更津の花火大会へ。
強行軍でしたねぇ。
この月はコミティアにも参加。金銭面で少し安定してきて、
様々な即売会へ行き易くなったと思う。
9月
アケマスのプロデューサー数十名集めた飲み会が開催された
のが、この月。壮観だった。よろ万屋さん、あづきゅん、TK
さん、なゆみん、綾人さん、田村ゆかりん、犬娘、時々お会い
する皆様も、超絶久々な皆様も、こうして会えるのマジ嬉し。
サンクリのも行けました。職場の先輩と。そこで真咲氏とも
一瞬だけ再会したり。即売会、こういうのもまた楽しい。
この頃はまだ、仕事上がりに船橋周辺や南船橋ららぽーとへ
晩飯喰いに行けてた気がする。それと、柏のラウワンあたりに
足を伸ばしたりも。道中の味噌ラーメンがやたら美味かった。
何度かリピーターしてます。
10月
心の傷は癒えないながらも、まだ俺の中にバイタリティーが
残っていた。実際、あの傷がじわじわと俺の元気を奪う性質と
気付くのは、まだまだ先の話。
この月は秋季例大祭、コミ1、キャラ1がありました。
「空」などで有名な愛知県の酒造:蓬莱泉が「蓬莱泉輝夜」
という純米大吟醸酒と「凱風快晴」という純米吟醸酒を例大祭
で売ってた。どちらも何本か購入してホームパーティーに使用
したっけな。
夏、秋頃から自宅でホームパーティーする頻度が上昇して、
ここからまた料理の腕がどんどん上がって行くのでした。
月末には熊本の学会へ。この時は発表ではなく勉強オンリー
だったので、気楽でした。馬刺し、旨かった。熊本ラーメンも
揚げニンニク醤油が聞いていて素晴らしかった。北熊とかマジ
記憶に残る味。好き。
11月
この月は、発表。その準備に追われ、発表はつつがなく終了
したが、どっと疲れた。
この頃になってくると気持ちの落ち込みが酷くなってきて、
忙しさもあり、息切れな日々が続いていました。
とにかくこの発表前後でしんどかったという記憶しかない。
12月
いよいよ寒くなってきて、パフォーマンスも士気も堕ちる。
しかし外勤アルバイトだけは、それでも楽しくやれていること
に気付き、はっきりと自分の適性に気付く。
この頃になると、寒いため自転車遠出が減流。その代わり、
近くのラウワンでの一人カラオケが増えた。日付またいで歌う
こともしばしば。AAAの「僕の憂鬱と不機嫌な彼女」をキー
4つあげて、DAMの精密採点94点を叩き出したり。他には
ランカ・リーのSongbirdも気に入ったり。
、、、スピッツの「おっぱい」歌っては涙を流したりw
チェリーも泣けるけど、おっぱいの方が泣けるwwwww
「もうこれ以上の 生きることの 喜びなんか知らない」
うぐぅっ、、、。
他には、エニグマブラザーズと忘年会したり。で、俺の理想
の女性像をリアルで探すにはキャバクラしかないという理屈が
炸裂して、ここからブラザーズと会うと高頻度でキャバクラへ
行くようになったっけ。
ホームパーティー忘年会もやった。ハーブチキンなんてのに
挑戦してみたり。うまく出来た。
そして、冬コミ。この冬コミでは本格的に東雲作戦を運用。
この時、8〜9時の東館なら東雲スタートが有利でした。
初日会場ではしろわいんさんと合流。
二日目はたまほく氏を案内。途中よろまんさんとカノレたん
合流して、恒例の「チャンプぅぅぅぅぅぅぅ!ガシッ!」で、
周囲のホモォ属性好きな女子の注目を浴びたり(?)w
防災公園のコスプレ覗きに行ったりもした。
お昼はアルポルト。
コミケらしくない静寂のアルポルトw
3日目は、とにかく感傷的になってたな。この一年の辛さが
一気にこみ上げてきて、コミケ会場の愛に包まれて、頭の中が
ぐっちゃぐちゃになってた。
某所で、以下の書き込みで、2017年の記録を終える。
ーーー
ここで仲間と来年の健勝を称え合いつつ別れる。コミケ会場
の腕(かいな)に一人抱かれ、再度、沈思黙考す。
閉眼し、暫し、この一年間に思いを馳せる。
辛い、辛い一年だった。
物質的・立場的には決して悪くなかったが、期待や希望を
悉く打ち砕かれ続け、総ての夢が暗黒に覆滅したかのように
思え、精神的には過去最悪のレベルにまで追い込まれた。
こんな思いをするために、頑張ってきたわけではない、耐え
てきたわけではないと、口惜しさばかりが募る一年だった。
しかし、そんな俺を支える、数多の好意や優しさがあったの
も確かだ。そうでなければ、ここまでやって来られなかったで
あろう。彼ら彼女ら一人一人への感謝が募る。
そして今、俺はここ、夢の国に立っている。夏、冬と、夢が
俺を包む。ここでの夢はもうすぐ終わるが、そこからまた新た
な夢が紡がれる。俺達参加者一人一人が、それを繋いで行く
のだ。だから俺は生きていける。
ありがとう、そしてありがとう。
また約束の地で、再び会うその日まで。
ーーー
2018年
1月
元日から日当直入っていた。24時間勤務。その、病院内で
寝ているときに見た初夢に、黒髪ロング巨乳美人が登場して、
全俺が喜んだw
中野勢で新年会やった。
番長さん、らばさん、kengoさんとも久々。
相変わらず深夜までの一人カラオケが多かった。ラウワンの
選べるフライドポテトが気に入ってたり。大雪の日も、終電が
終わってからも歌っていて、歩いて帰ったり。
しばさん&そーすいさんの襲撃もあった。翌日長州力主催の
プロレス大会「パワーホール」を観に行ったり。長州力、まだ
あんなに動けるんだなぁ。
日本酒同好会、ふぐ鍋だった。
この会はいつだって最高。
バーフバリ2を観に行った。好き。他には、新海誠監督作品
をレンタルで全部見終わったのも、この時期。
2月
鬱時空が加速。もともと冬が弱いので、ダブルで精神状態が
ダウンスパイラルしていた時期。
そんな中、エニグマブラザーズの仲間に、待望のベビー誕生
という嬉しいニュースが。
ビッグサイトで砲雷撃戦よーい!と東方小規模オンリーなど
いろんなオンリーが同時開催されるBS祭へ行った。
劇場版マクロスΔ「激情のワルキューレ」上映。
新曲「Change!」は圧巻だった。
研修医時代の後輩と東中野「しもみや」で呑み。ここは凄い
おもてなしクオリティが高い、素晴らしい店です。
3月
この月、台湾の外祖母が亡くなり、急遽台湾へ。葬式に参加
した翌日には日本に戻るハードスケジュール。
大往生だった。
また1人、綺麗な日本語を喋る台湾人が亡くなったのだ。
特に学会発表などが無い時期で、仕事自体はそこまでハード
では無かったかと思う。
東京マラソンの医療チームにも、例年通り参加。これは凄く
楽しい仕事です。
他には、PS4とモンハンワールドを買った。
遂にPS4です。
サンクリにも行って来た。からの、真咲氏&Mizda氏と池袋
のフライデーズへ。
エニグマブラザーズを初めて家に招いた。うぇるかむ!
この月の終盤、自宅での俺の誕生日パーティー。
こんな俺でも誕生日祝って下さる方々がいるのは、本当に、
嬉しかった。
悪くない3月だったが、、、しかし、心のトンネルは、まだ
抜ける気配がしなかった。